ネコと紫の日記帳

ひたすら己の趣味の備忘録。読んで下さる方ありがとうございます。

『COCOON 星ひとつ編』観てきました・2

(全力でネタバレしてると思うのでご注意ください)

(思い付いたことから書くのでとりとめがないです)

『星ひとつ』…泣きましたよ。初っ端から泣いたしキャストパレードもクライマックスもエンディングもカーテンコールも泣きました。

けど、あの終わり方だったから、もしかしていい話だったんじゃないかと思っている自分がいる。もちろん悲しかったんだけども、すれ違いだったんだけども、もしかしてこれはとてつもない愛の物語だったんじゃないだろうかと。

と思うのはやっぱり染谷さんのダリだったからかなー、という気もするけども。あと、そういう意味では「ウルに対するダリ」に対して「ソフィに対するクラウス」も当てはまるような気はする。ダリもクラウスも愛は深いんですよ、ちょっと表現が曲がってるだけで。いや、そこ(表現)をもう少し何とかすれば、というのは置いといて。まあ…クラウスが一方的にも程があるしな…。

ソフィとウルや、ウルとダリや、ラファエロとダリはすれ違いだと思うんですけど、クラウスとアレンはクラウスの片想いだと思うんですよね(BLとかそういうことではなく)。あのー、あるやん。恋愛感情じゃないけどあの子の一番の友達は私であってほしいみたいなやつ。(え、ない?)

アレン(私のアレンは主に山田裕貴君)ってぶっちゃけ不思議ちゃんでしたよね。だから、死の間際に永遠の命を望まなかったのも別にクラウスが嫌いとかそんなんではなかったと思うし、むしろ好きだったと思うし。拒否…したわけではないと思いたいんだけども。あー、ここ解釈するの難しいなあ(色々書きかけてやめた)。演じてる役者さんによっても違うだろうしなあ。

で、大切な人を失っちゃったから、もう失いたくなかったんだよね、クラウスは。でも憎まれる覚悟だったから姿を消したんだろうか。どこかで生き続けるのはわかってるし、憎まれても生きてるだけでいいと思ったのかな。

でも、やっぱりその後のソフィの苦しみを見てると早く何とかしてあげてほしい…。私がTRUMPシリーズを観続ける理由は、ソフィが救われてほしいからです。それは同時にクラウスも救われることなのかもしれない。

あー、すれ違いの話。月は観られなかったのでソフィとウルの話だけ。

『TRUMP』の前半はソフィが自分以外の全てを拒絶してて、後半はウルが(たぶん繭期の症状が進んだ結果イニシアチブが強く現れたのもあって)友情がどうよりかは生きる方に必死になってしまったのだけど、ウルが大丈夫な間にソフィが向き合ってたら、もう少し違った結果になってたと考えずにはいられない…。だからすれ違いなんだけど。

前半のウルは、純粋にソフィと友達になりたかったんだと思うのです。それはDステ両方観ても今回の『星ひとつ』観てもそう感じる。ああ、でもそうか。何でウルが後半でああなってしまったかって『グランギニョル』があったからか…うわ、何これ死にそう。

ソフィもラファエロもそんなことがあったなんて知らんもんな…。メタ的には仕方ないんだけど、お父さん(ダリ)、ラファエロくらいには真実を伝えといてもよかったんちゃうか…。フリーダ様がいればなあああ(涙)。

ウルは救われたのかな、救われなかったのかな。『TRUMP』ではウルがダンピールであることは中盤で明かされる大きな秘密だったけど、今回は最初からわかっている状態だったのでソフィとかクランのみんなの接し方が辛くて辛くて仕方なかったです。

魂とかそういう話になってしまうけど、ウルの遺体が焼けずに残ってた理由(直接は言われず仄めかされるだけ)にボロ泣きしたので、それがウルの魂に伝わっていていればいいな。彼だけじゃなく、色んな人に大事に想われてたんだよ。

それで思い出したけど、ソフィが『LILIUM』で枯れない花を作ろうとしてたのって、多分この時のトラウマが原因だよね…。(ウルを噛んだけど助けられなかった)

アレンのことを書いたので。

何と今回のクラウスの回想でのアレンは竹鼻優太君でしたね! キャラメルボックスですよ! 劇団ファンとして誇らしい。アンサンブルで参加するとは知っていたのですが、まさかアレンまでとは思ってなかった。(ただしメイクと照明の加減で観てる時はわかってなかった)

けど、回想の中で喋ってるアレンの声ってそれこそ山田裕貴君の声を使ってるように聞こえたんですけど、実際はどうだったんでしょうか。配役表に名前なかったしなー。(栗山君と愛加あゆさんはお名前あった)

アンサンブルさん達の動きで一番感銘を受けたのは、おどろおどろしい仮面を着けてゆらゆらしながら本を持って書庫の背景になったりするところ。これこそ演劇だー、と思いながら観てました。楽しかった。

もう少し書きたい気持ちはある。